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長野地方裁判所 昭和38年(ワ)17号 判決

原告(反訴被告) 第一法規出版株式会社

被告(反訴原告) 中野義昌

主文

原告と被告との間に、雇傭関係が存在しないことを確認する。

被告の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は本訴反訴とも被告の負担とする。

事実

一  原告の本訴申立

(一)  主文第一項同旨。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  本訴請求原因

(一)  原告(以下会社という。)は、明治四二年長野市において創業され、現在は本社を肩書地におくが、本社業務のうち編集、営業の大部分および人事部門は長野市岡田町一七六番地においてこれを行い(通称長野本社という。)、札幌市(北海道支社)、仙台市(東北支社)、東京都(関東支社)、長野市(信越支社)、名古屋市(東海支社)、大阪市(関西支社)、広島市(中国支社)、高松市(四国支社)、福岡市(九州支社)に各支社を、沖繩に出張所を設け、従業員約七六〇名を擁し、全国的規模において「現行法規総覧」、「経済関係法規集」、「判例体系」などの加除式書籍、その他法律一般学術書などの単行本、雑誌等の出版・販売を営む資本金三、〇〇〇万円の株式会社である。

(二)  被告は、昭和二六年九月二一日会社に入社し、編集部法規課に勤務したが、昭和三六年四月一日同部例規課に配置替となつた。会社は被告に対し、同年七月三日東北支社営業課勤務を命じ、ついで同月一〇日同人が正当な事由なく右命令に従わなかつたことを理由として同人を休職処分に付し、さらに、同月二四日同人を諭旨退職処分に付した。

(三)  しかるに、被告はなお会社との間に雇傭関係が存在する旨争うので、被告に対し会社との間に雇傭関係が存在しないことの確認を求める。

三  被告の申立

本訴について

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

反訴について

(一)  原告は被告に対し、金二七八、九四五円ならびに昭和三六年七月一日から昭和三七年四月三〇日まで一月金一七、一〇〇円、同年五月一日から昭和三八年四月三〇日まで一月金二〇、七〇〇円、同年五月一日から雇傭関係終了まで一月金二三、三〇〇円の各割合による金員を支払え。

(二)  反訴訴訟費用は原告の負担とする。

(三)  第一項について、仮執行の宣言。

四  被告の本訴請求原因に対する答弁および抗弁(反訴請求原因)

(一)  原告の本訴請求原因事実は、すべて認める。

(二)  本件解雇は、被告が正当な組合活動をしたことの故をもつてなされたものであるから、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であつて無効である。

1  組合の性格

(イ) 原告会社の従業員をもつて組織されている訴外第一法規従業員組合(以下組合という。)は、本件解雇当時、会社の従業員中課長補佐の職にある者を組合員として含み、しかも組合長、副組合長(二名)はいずれも右課長補佐の職にある者によつて占められていた。課長補佐はその職務上、支社長会議、部課長会議などに出席して会社の機密事項に接し、さらに課長補佐としての職務手当を支給され、会社の利益のために行動すべき職務上の義務と責任があるのであつて、これらは組合員としての誠意と責任に直接てい触するものである。従つて、会社の利益を代表する者というべきである。しからば、かかる者の加入している組合は自主性を欠くものというべきである。そして、現に、右組合三役は昭和三六年六月二九日戸倉ヘルスセンターでひらかれた部課長会議にも出席している。

(ロ) また、右組合は役員の選出にあたつて、組合員による無記名投票によらず、執行部の一方的意思によつて役員を決定し組合員の不当配転や解雇についても会社に抗議したことはなく、賃上げを要求して争議行為に入つたこともなく、組合が加入している地区評、県評などの会議にも出席せず、安保斗争、春斗などの統一行動にも参加せず、組合独自の自主性ある行動として見るべきものはなかつた。

2  被告の組合活動

(イ) 被告は、右組合の組合員であるところ、組合の現状が右のように御用化していたため、自ら中心となつて同志と図り、組合の自主性を獲得すべく、昭和三五年九月頃から読書会活動を始めた。しかして、右読書会活動は、単にサークル活動として本を読み合うというに止らず、哲学、社会科学、時事問題などの学習を通して会員相互の結びつきを深め、さらに組合員の職場における不満や諸要求を取り上げて討議するほか、組合運動や組合役員選出の問題を討議したうえ、会員各自が右討議によつて決つた一定の方針に従つて、会員以外の組合員に働らきかけ、組合大会などで積極的に発言する方法によつて、組合を自主的民主的なものに強化していこうとするものである。

(ロ) 右のような方針にもとずき、読書会は、被告らを中心として具体的につぎのような活動をした。すなわち、昭和三五年から翌三六年にかけて、組合に青年婦人部を設けることを計画し、組合員に働らきかけ、昭和三六年一月の組合役員の選出にあたつて、会員の中から役員に立候補させることを計画し、訴外高野直人を執行委員長に、被告および訴外中沢民男を執行委員に、婦人から訴外松岡某と鈴木郁を同じく執行委員に、それぞれ立候補させることとし、組合員に働らきかけた。さらに、昭和三五年から翌三六年にかけて、現在の年功序列査定による賃金制度に反対し、同一労働同一賃金の原則にもとずく賃金体系を獲得するように組合および組合員に働らきかけた。また、昭和三六年六月、賞与の配分問題について一律配分方式を主張し、組合の青年婦人対策部に働らきかけ、同部主催の座談会において右問題を検討した結果、執行部でもこれをとりあげて年令別公聴会を開くこととなり、会員も出席して積極的に討議した。

3  会社の不当労働行為意思

(イ) 会社は、昭和三六年二月頃、社外の女性からの電話で右読書会の存在を知つたと称して、同月下旬調査をはじめ、会員であつた訴外高田芳子は長沢編集部長から会の内容や会員の氏名を調べられ、ついで、訴外中沢民男は所属の小林例規課長から、また被告は大久保法規課長から直接調べられた。

そして、三月一日の編集部会においては、長沢部長が編集部員全員に対し、「会社で調べたところ読書グループは単なる若い人達だけの集りであることがわかつたが社外で若い人達だけで集まるのは誤解を生ずるおそれがあるから、やるなら社内でやつてほしい」旨発言してこれに干渉した。

(ロ) 会社は、社員を転勤させる場合には、その転勤の可能性の有無について調査し、あらかじめ本人の了解を得、これを組合に通知したうえで転勤を命ずるのが慣例であつた。しかるに、会社は、被告の場合、当時その家庭が田畑をあわせて約四反歩の農地を耕作し、一方被告の父悦二(五八才)は高血圧で加療中であり、母けさ(五一才)は口内炎の持病により満足に働らくことができず、祖母だい(八二才)は老衰のため臥床中であり、被告が経済的にも精神的にも一家の中心であつて転勤することができない状態にあることを知りながら、突然同年七月三日被告に対し東北支社に転勤を命じたものである。

(ハ) 会社は、本件転勤命令の直前である六月二九日、特に課長補佐である組合三役を出席させたうえ部課長会議を開き、同人らに対し、本件転勤命令は社運に関する重大問題であるからこれを強行する旨告げて協力を約させ、同人らを通じて組合に転勤命令に応じない者には力を藉さないよう働きかけた。その結果、組合は被告の苦情申立に対し、労働協約に定める職場苦情処理委員会の処理手続を経ず、これを特別苦情処理委員会にまわし合同苦情処理委員会を構成して処理し、何ら実質的な審理もせず申立を却下してしまつた。そのうえ、組合はこの件に関し会社と交渉することもせず、被告からの要請にも拘らず、上部団体である長野県労働組合評議会長野地区労働組合評議会(地区評)に対して交渉を移譲することも拒絶した。

(ニ) 組合は、長野市および東京本社における従業員が中心となつて運営されているので、他の地域において組合活動を行うことは殆んど不可能である。したがつて、被告が東北支社において組合活動をすることは不可能となる。

(ホ) 右のように、会社は被告の前記組合活動を嫌悪し、これを排除するために、読書会の中心メンバーであつた訴外中沢民男を大阪支社に、被告を東北支社に転勤せしめたものである。被告はその不当性を抗議しつづけたところ、会社はこれを理由に七月一〇日被告を休職処分に、次いで七月一九日に入社禁止処分に付し、ついに七月二四日懲戒委員会の議を経て被告を諭旨退職処分に付するにいたつたものである。

以上、1・2・3の事実に徴するとき、前記処分はいずれも被告が正当な組合活動をしたことを決定的動機とし、これを排除するべくなされたものであることが明らかであるから、不当労働行為として無効である。

(三)  仮にそうでないとしても、被告は前記家庭事情のもとでは転勤することができないため、その転勤命令後会社に対し、長野市で勤務させて欲しいと懇願して出社したのであつて、これを一切考慮することなく直ちに解雇処分に付するが如きは、解雇権の乱用であつて無効というべきである。

(四)  以上のとおり、本件解雇は無効であるから会社と被告との間には未だ雇傭関係が存在しているものというべきところ、被告は会社に対し右契約にもとずき労務を提供しているのにかかわらず、会社は不当にその受領を拒否しているから、会社は被告に対し右労務の対価である賃金を支払う義務がある。ところで、被告が諭旨退職処分を受けた当時、被告の賃金は一月本給金一五、九〇〇円、物価手当金一、二〇〇円であつた。そして、会社において右退職処分当時本給一月金一五、九〇〇円であつたものは、昭和三七年五月一日から本給一月金一七、二〇〇円、物価手当金三、五〇〇円に、昭和三八年五月一日から本給一月金二三、三〇〇円に順次昇給し、また賞与として昭和三六年一〇月に金一五、九〇〇円、同年一二月に金五二、九四七円、昭和三七年四月に金一五、九〇〇円、同年六月に金五二、四七〇円、同年一二月に金五三、六六四円、昭和三八年四月に金一七、二〇〇円、同年六月に金五三、六六四円をそれぞれ支給されている。

(五)  従つて、被告は原告に対し、右解雇処分以後退職まで右各割合による賃金および既に支払期の経過した前記賞与の支払を求める権利がある。そこで、被告は原告に対し反訴請求の趣旨のとおりの判決を求める。

また、以上の次第であるから、被告と会社の間に雇傭関係の存在しないことの確認を求める原告の本訴請求は失当である。

五  反訴に対する原告の申立

(一)  主文第二項同旨

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

六  被告の四の主張に対する原告の答弁

(一)  組合の御用性の主張について

1  同項(イ)の事実中、組合に課長補佐の職にある者が加入していたこと、本件解雇当時組合長、副組合長の組合三役が課長補佐の地位にあつたこと、昭和三六年六月二九日の部課長会議に右組合三役も出席したことは認めるが、その余の事実は争う。同項(ロ)の事実は争う。

2  課長補佐については、社則第一八条において「必要により課に課長補佐を置くことがある」と規定され、その職務は「課長の命を受け課長の業務を補佐する」ものとされている。それは必置制ではないのみならず、課長に事故があつた場合に業務上の事項についてのみその事務を代理し、人事考課、査定などには関与しないものであつて、その場合は必ず部長又は他の課長をして事務取扱を命じているから、これを会社の利益代表者ということはできない。また課長補佐が組合員や組合三役になつていることから、この組合を直ちに御用組合であるということはできない。殊に組合は自主的な組合規約を有し、会社との間にユニオン・シヨツプ条項を含む労働協約を締結し、昭和二一年に結成以来、地道なしかも進歩的な活動をして、真剣な要求とその団結力をもつて他社よりも高度な労働条件を獲得してきたものであつて、このことを考えると、自主的、民主的な組合であることは疑いを容れないものである。

(二)  被告の組合活動の主張について

1  同項(イ)、(ロ)の事実はいずれも争う。

2  被告主張の読書会活動は、組合のごく一部の者が時事問題を討論したり、恋愛問題を論じたり、読書、観映の感想を述べあう程度のものであつて、これは単なる文化活動であつて組合活動とはいえない。また、仮に役員選出や一時金の配分問題などについて、読書会が会としての意思決定をなし、これを行動に移したことがあつたとしても、読書会は組合の正規の機関として存在しているものでもなく、また組合から承認された団体ではないから、それは組合少数派の組合統制外の行動にすぎず、正当な組合活動にあたらないものである。

(三)  被告の不当労働行為意思の主張について

1  同項(イ)の事実は争う。(ロ)の事実中、被告の父悦二が高血圧で加療中であり、農地を所有していることは認めるが、その余は争う。(ハ)の事実中、主張の部課長会議に課長補佐として組合三役が出席したことは認めるが、その余は争う。(ニ)の事実中、組合が長野市および東京本社における従業員が中心となつて運営されていることは認めるが、その余は争う。(ホ)の事実は認める。

2  被告を東北支社に転勤を命じた経緯はつぎのとおりである。

(イ) 会社は、従業員総数七六〇名のうち三分の二にあたる四八〇名を長野市以外の事業所に配置しているが、右各現地における会社の信用・声望が長野に比して薄く要員の充足が困難であるため、創業の地である長野で所要社員を採用し、これを教育訓練したのち、長野以外の事業所に補充せざるをえないこと、さらに、会社は出版直売の営業形態をとり、その業務内容は編集、校正、外注印刷、製本、直売、集金および加除に分科しているが、中企業的量産をしている会社として社員が会社の業務全般を処理する能力を備えることが経営上最も有利であることの二点から、従来本社から支社、編集から営業、経理から営業などの配転を行つてきたからであつて、本件の如き配転もやむをえざるものであつた。

そのため、就業規則第六六条には、「会社は、業務上の都合で、社員に転勤を命ずることがある(第一項)、前項の場合に社員は、正当の理由がなければ、これを拒むことはできない(第二項)。」と規定して従業員にその趣旨を徹底させ、転勤を命じられることがあることを社員採用の要件としたうえ、採用と同時に、社員からは就業規則を遵守する旨の誓約書を、身元保証人からは社員の転勤を了承する趣旨を含めた身元保証書をそれぞれ提出させている。一方会社は、転勤者に対し住居の保障と経済的負担の軽減をはかり、独身者には食費とも一月三、〇〇〇円程度で利用できる完備した寮を、妻帯者には社宅を提供し、さらに独身者には年一回の帰省を認めその旅費を支給している。会社は右のように、合理的に社員の異動を行つているのであつて、人事交流件数は年間平均四二一件を数えるが、その間これを拒否したものはなかつた。

(ロ) 会社は、近年、各都道府県および市町村からの人事例規、会計例規、市町村例規(いずれも加除式)の受注が増加し、とくに昭和三六年になつてからそれが激増してきた。これらの受注については、各支社の営業担当者が価格、納期を契約し、発注者の提示する原稿を調整したうえ、印刷原稿を作成し、これを造本して納本するのであるが、中小都市が発注者である場合が多くなつたため原稿には用字、用例、組方に粗雑なものが多く、原稿調整に日時を要し、勢い納期が遅延するなど会社の信用に悪影響を及ぼし、経済的にも会社の負担が増大した。これを是正するためには支社営業部門に編集事務堪能者を配属する必要が痛感されたところ、会社においては昭和三六年六月一日開催の支社長・部課長合同会議においてこのことが再確認され、編集経験者の在勤しなかつた東北、関西、北海道の各支社長からは要員充足の強い要請があつたので、六月一九日会社の常務会は協議の結果、編集部からその適格者を前記三支社に各一名宛配置することにし、その選考方針をつぎのとおり定めた。

a 現在県例規および市町村例規の編集を担当している編集部例規課在勤中の中堅社員(但し、例規課で全部補充できないときは、編集部在勤三年以上の経験者をもつてこれを充てること。)でb、勤務成績良好で過去に事故のなかつた、c、普通高校出身の学歴を有する、d、独身者から選考する。

そこで、会社は右選考方針によつて選出された数名の中から、同月二六日、被告を東北支社に、訴外中沢民男を関西支社に、訴外会津直司を北海道支社にそれぞれ転勤を命じることとし、これらの者の後任の異動を含め合計一一名の異動候補者を決定し、翌二七日労働協約第六条、第三〇条により右一一名の異動につき組合に通告して協議のうえその了承を得、同年七月三日各所属部課長から被告を含む右異動者に転勤辞令書を交付したものである。

(ハ) 以上のように、会社は被告に対し、単に業務上の必要から転勤を命じたのであつて、この転勤命令は被告の活動とは何の関係もないものである。

3  被告を休職処分に付した経緯はつぎのとおりである。

(イ) 被告は、右転勤命令につき、同年七月一日会社に対し、両親の病弱と家庭経済上の理由でこれを拒否する旨の意思表示をした。そこで、会社は被告に対し、転勤命令は会社業務の都合によるもので、家庭内の事情は従来から就業規則第六六条第二項の転勤を拒む正当な理由とは認められていないこと、転勤業務については、入社の条件として会社から提示してあるうえ、被告は保証人とともにこれを遵守する旨の誓約書、身元保証書を差入れてあること、被告は独身寮に入寮できるので家庭におけると同程度の経費で足りるうえ、勤務先においては本俸のほか地域手当約八〇〇円が新たに支給されること、転勤後、家庭に不測の事態が生じたときは、会社はできる限りの援助と便宜を与えるべく用意していること、支社営業課は営業の主流をなし、とくに本件転勤は会社業務の緊急必要性にもとずくものであり、これに応えて会社に貢献するときは昇進の上にも好結果をもたらし、この度の転勤は、抜擢の性格を有するものであること、などを説明して翻意を促し説得につとめるとともに、被告の両親に対しても情理をつくして被告の転勤に協力するよう説得した。その結果、両親からは被告の意思次第であるとの回答を得たが、被告はなお転勤拒否の態度を変更しなかつた。

(ロ) 被告は、同月三日組合に対し苦情を申立てた。組合においては、直ちに苦情処理委員を被告の家庭に派遣して調査するなど慎重に検討した結果、被告の転勤拒否には正当な理由がないという結論に達したので、被告に対し転勤命令に従うように説得した。しかし被告がこれに応じなかつたので、組合は同月五日これを却下した。

(ハ) 一方、被告と同時に転勤命令を受けた者達はいずれも異議なくその転勤先に赴任し、被告の後任者も同月九日仙台から着任した。しかしながら、被告は依然として転勤拒否の態度を変えなかつた。

(ニ) 右のように、転勤命令を正当な理由なく拒否する被告の行為は、就業規則所定の服務規律に違反し、懲戒処分事由に該当するので、会社は同年七月一一日就業規則第一一条第一項第九号を適用して、被告に対し右処分の決定があるまで休職処分に付することとし、その件につき組合に通告して協議の結果その了承を得たので、同日被告に対しその旨を発令したものである。

4  被告を諭旨退職処分に付した経緯はつぎのとおりである。

(イ) 被告は、会社から休職処分を受けた後自宅で待機すべきであるのに、同月一一日から一九日まで連日強行出社して就労を強請し、社内を歩きまわり、社内電話を私用に供し、就労中の社員に話しかけるなど社内秩序を乱したので、会社は組合に通告して協議の結果、その了承を得たうえ、同月一九日就業規則第四七条五号、六号を適用して、被告を入社禁止処分に付した。

(ロ) ところが、被告はなお右処分を無視して、同月二〇日から二二日まで連日強行出社を試みた。

(ハ) 以上のように、被告は、正当な理由がないのに転勤命令を拒否し、その服務規律違反に対し会社が命じた休職処分をも無視して強行出社し、さらに入社禁止処分をも無視して出社を強行したものであつて、被告の右行為は就業規則第二四条第一項、第六六条第二項、第九六条、第九九条第一号、第一一号の懲戒事由に該当するものである。しかしながら、同年七月二二日に開かれた懲戒委員会は被告を懲戒解雇処分にすべきものと認めながら、なお被告が勤続一〇年に近い社員である事情を考慮したうえ就業規則第九七条第一項但書を適用して同人を諭旨退職処分に付することと決定した。そこで会社はその決議に則り同月二四日同人をその旨の処分に付したのである。

(四)  被告の解雇権乱用の主張について

1  同項の主張は争う。

2  会社は経営権に基く人事権を行使しうるところ、前記のようにその業務の必要上被告に対し転勤を命じたのにこれを拒否し、さらに自宅待機反省のため休職処分に付したにも拘らず強行出社し社内の秩序を乱したので、懲戒委員会の審議・議決を経て本件解雇処分にしたものであるから、解雇権の乱用でないことは明白である。

七  証拠〈省略〉

理由

一  原告の本訴請求原因事実は当事者間に争がない。

二  そこで、被告の抗弁について判断する。

(一)  まず被告が本件諭旨退職処分を受けるにいたつた経緯についてみるに、いずれも成立に争がない甲第三号証、同第八号証、同第九号証の一ないし六、同第一〇号証の三ないし五、同第二〇号証の一ないし三、同第五五号証の一・二、同第五六号証ないし同第五八号証、同第五九号証の一、乙第三四号証の一、同第三九号証の一・二、同第四一号証、証人横瀬政雄の証言により成立を認める甲第二八・三二号証ならびに証人横瀬政雄、同蒲原正二郎の各証言、被告本人尋問の結果を総合するとつぎの事実が認められる。すなわち

(1)  被告は昭和二六年九月二一日会社に入社し、長野本社勤務を命じられ、当初編集部の給仕をしながら長野北高等学校定時制に通学し、昭和三〇年同校卒業後編集部法規課に所属し、昭和三六年四月一日同部例規課に配置替となり、本件転勤を命じられるまで引続き長野において勤務した。

(2)  会社は全国に九社一出張所をおいて業務を遂行している関係上、総従業員約七六〇名のうち三分の二にあたる約四八〇名を長野以外の地において勤務させているが、各支社においては現地における会社の信用・声望が薄く、現地で人材を集めることが困難であるところから、その要員の大部分を創業の地であり信用もある長野において採用し、実務の教育訓練をした上で全国各支社に配転する方法をとつている。また、会社は出版・直売の営業形態をとつているところから、その業務内容は編集・校正・外注印刷・製本・直売・集金・加除と多岐にわたり、かつ中企業的量産をしているため社員が右業務全般にわたつて経験を有し熟練した能力を持つことが経営上必要である。これらの点に加え、部内に清新な気風をもたせる意味をも含めて会社は従前から従業員を本社から支社、編集から営業、販売から集金などへと配転するのを常としてきた。

(3)  そのため、とくに就業規則には従業員の転勤義務について規定し、転勤に応じうることを社員採用の条件とした上、入社に際して社員から就業規則を遵守する旨の誓約書を、また身元保証人からは社員が入社時の勤務場所に限定せず必要により会社の命令にもとずき転勤することを了承する趣旨を含む身元保証書を提出させているところ、被告においても入社にあたつて右誓約書を、また被告の身元保証人である訴外中野悦二、中野博、藤沢清治らは昭和三〇年九月、同三五年一月の二回にわたつて、会社の求めに応じて前記趣旨の身元保証書を提出した。

(4)  ところで、本件転勤命令当時、会社は各都道府県および市町村から人事例規、会計例規および市町村例規(いずれも加除式)の発注が増加していたが、これらの受注については、各支社の営業担当者がこれを受付けて価格や納期を契約し、発注者の原稿を調整編集の上、印刷に回付し、造本して納付する運びになるところ、最近の発注者の原稿には用字、用例、組方に粗雑なものが多く、その調整に多くの日時を要するため納期を遅延させる事態をおこしがちであつた。これは要するに、受注にあたつて、その担当社員が編集経験を経ていないために、造本にいたるまでの見通しがつかないままに納期を契約してしまうことに起因するものであつた。またその頃から、各支社は経理上独立採算方式を採用することになつたので、各支社とも受注量を増し納期を早めて営業成績をあげることに努力していたこともあり、この点からも各支社は営業担当社員として編集経験者を配置することをつよく会社に要望するにいたつた。

(5)  会社は昭和三六年六月一日支社長・部課長合同会議を開催したところ、その席上とくに編集経験者の在勤しない北海道・東北・関西の各支社長からつよく編集経験のある社員を配転するようにとの要請が出された。そこで、会社は六月一九日常務会において協議の末、編集部在勤中の社員から前記各支社に各一名宛配置することとし、その選考方針として(イ)現在県例規および市町村例規の編集を担当している編集部例規課在勤中の中堅社員で(但し、例規課在勤社員で充足できないときは編集部在勤三年以上の経験者をもつて充てること)、(ロ)勤務成績良好で過去に事故を起したことなく、(ハ)普通高校出身の独身者から選考する。以上の方針を定めた。

(6)  会社は右選考方針にかなつた数名の候補者のうちから社員身上調書などによつて年令・職務内容・成績・健康・家庭状況などを調査の上、六月二六日の常務会(社長・専務取締役・常務取締役によつて構成され、取締役会に付議することを要しない日常業務を決定する)において、被告を東北支社に、訴外中沢民男を関西支社に、訴外会津直司を北海道支社にそれぞれ転勤させることとし、これらの者の後任の異動を含め合計一一名の異動計画を内定した。そこで、訴外長沢安治編集部長は右の者の赴任先がいずれも遠隔地であることを考慮して前記三名を呼んで転勤が内定したことを予告したところ、右会津は直ちにこれを了承したが、被告は両親が病弱で家庭をみなければならないことを理由に、また中沢は弟が小児マヒで面倒をみる必要があることを理由としていずれもこれを拒絶する態度を表明した。さらに、被告は同夜長沢部長を自宅に訪問して再び転勤を取消して貰いたいと要請したが、確答を得られず、翌日庶務課長を含めて話合に応ずることを約束させたのみで帰宅した。

(7)  六月二七日早朝、被告の身元保証人である訴外中野博は、被告の依頼を受けて訴外田中重弥社長を自宅に訪問して転勤の事情を聞くとともに転勤を取消すように要請したが、確答をえられなかつた。同日、会社において、被告と中沢は長沢部長、小林例規課長、藤原庶務課長と会談し、ともに家庭事情を説明して転勤に応じられないから、転勤を取消して貰いたいと要請したが、家庭の事情で転勤を拒否することは許されないから、命令に従うように説得された。ついで開かれた労務委員会において、会社は労働協約第六条、第三〇条にのつとり、前記異動問題について協議してから、異動内定者の氏名・異動先を組合に通告したところ、組合は執行委員会ならびに委員会を招集し、その席上鈴木郁委員から被告が家庭の事情で転勤に応じられないのではないかとの発言もあつたが、協議の結果これを了承することとし、その旨会社に回答した。

(8)  六月二八日早朝、被告は訴外竹内専務取締役を自宅に訪問して家庭の事情を説明し、両親も反対であるから、転勤に応ずることはできない旨申し述べ善処方を要請した。これに対し同専務は重役会で決定していることであるから取消すことはできないと拒絶する一方、直ちに藤原庶務課長に対し被告の家庭事情を調査しあわせて被告の両親を説得するよう命じた。そこで、右藤原は、同日昼頃、長野市柳原の被告宅を訪問して被告の両親や家族と面談し、家庭事情を聴取した結果転勤が可能であると判断し、今回の転勤は業務上の必要にもとずくものであつて、就業規則の上からもこれを拒否することはできないこと、仙台では会社の寮舎も完備し一月金三、〇〇〇円程の生活費で足りるほか地域手当として金八〇〇円が加算されるから家計に対する援助も十分可能であるし、専務も今後家庭で不測の事態がおこつたときは責任をもつて援助することを約束しているから不安がないことなどを説明して被告が転勤に応ずるように協力してほしい旨申入れたが、父親の悦二は両親とも病弱であり、転勤になると被告からの経済上の援助が減少するから困るとしてこれを拒絶した。

(9)  六月二九日午前、被告は組合の総務部長小林栄に対し、口頭で家庭の事情で転勤に応じることができないから組合として会社に転勤を取消すように交渉してほしい旨の申入れをした。同日午後組合三役は被告から一応事情を聞き、転勤に応ずるように説得したが、結論がでないまま話合を打切つた。翌三〇日再び組合三役は地区評の幹事を交えて被告より事情を聴取したうえ、執行委員会を開いて協議し、この問題を討議するため藤原庶務課長に対し労務委員会を開催するように申入れたが、当日たまたま会社側労務委員が不在であつたため、同課長から会社としては被告の転勤を変更することはむずかしいのではないかとの回答があつただけで、委員会開催の運びにならなかつた。そこで再び執行委員会を開いて協議した結果被告に対し転勤に応じるように説得することになり、被告と話合つたが、被告はこれに応じなかつた。翌七月一日、組合は、被告から組合の機関にはかつて組合として助けるか捨てるかを決めてくれさえすればよいとの申出もあつて、大会につぐ決議機関である委員会を招集し、被告の問題について討議した結果、被告に対し転勤に応ずるように説得し、これに応じないときは以後組合としてこの問題はとり上げないこと、さらに被告の要請による地区評に対する転勤取消についての交渉権委譲は行わないことを決議した。

(10)  七月三日会社は被告に対し、東北支社営業課勤務を命ずる旨の転勤辞令を交付した。被告は直ちに、組合職場苦情処理委員である訴外吉沢実に対し、書面で家庭の事情から転勤に応じられないことを理由として苦情処理の申立をなした。同委員はすでに申立人が課長・部長・会社代表者に対し折衝ずみであり、組合においても執行委員会、委員会などの議を経ていることを考慮して、この問題を特別苦情処理委員で処理するように委任したが、特別苦情処理委員である組合三役において協議の末、結局職場苦情処理委員会で処理することになつた。そこで職場苦情処理委員会はまず被告から事情を聴取したうえ、翌四日委員四名を被告宅に派遣して家庭の実情を調査し、審議した結果、被告が仙台に転勤しても従前の例からして金一〇、〇〇〇円位は送金可能であり、病弱の両親を残して赴任しなければならない被告の心情には同情すべきものがあるが、家族構成からして不十分ながらも農業を営む労力が存することなどから、いまだ家庭事情により転勤不可能ということはできないものとして、七月五日右申立を却下し、被告に通告した。

(11)  その後、当初転勤をしぶつていた前記中沢も関西支社に赴任し、ほかに同時に発令された九名も異議なく七月一〇日までにはそれぞれ赴任し、被告の後任である訴外池田安雄も東北支社から着任して七月九日には出社するにいたつた。ところが被告は就業規則第六七条に定める赴任期限である七月一〇日までに赴任せずこれを拒否しつづけた。そこで、会社はこの行為が同規則第九六条所定の懲戒事由に該当するとして、同規則第一一条第一項第九号にもとずき被告を休職処分に付することを相当と認め、七月一〇日労務委員会に右処分案を提出した。その席上、会社側委員が組合側の要望を容れ、被告が転勤に応じた場合は即時休職処分を撤回することを約束したので、組合側委員も右提案を了承した。そこで同日午後、会社は小林例規課長、藤原庶務課長両名から被告に対し、転勤命令に従わないことを理由として七月一一日付で休職処分に付すること、休職中給与は本給の七割を支給することを告知し、自宅で反省待機するように申し渡し、休職期間中被告が転勤に応ずる場合は直ちに復職させる予定であることを申し添えた。

(12)  七月一二日朝始業前、被告の父中野悦二名義の「第一法規の組合員の皆様へ」と題したビラが会社通用門附近で配布された。そして被告は前記休職処分を無視してその後七月一八日まで連日出社して社内を歩きまわり、小林例規課長に就労方を要請するなど社内の規律を乱したので、七月一九日会社は就業規則第四七条第五号によつて被告を入社禁止処分に付する必要ありとし、同日労務委員会を開いてこれを提案し組合側委員の同意をえて同日右処分をなし、直ちに、長沢編集部長、柳信越支社長、小林例規課長、藤原庶務課長をして被告に対し、その告知をした。被告は翌二〇日から二二日まで連日始業時に入社しようとしたが、いずれも庶務課員らに制止されて退去させられた。

(13)  田中重弥社長は、被告が正当な理由がないのに転勤命令を拒否し、服務規律違反について命じた休職処分、入社禁止処分を無視して連日強行出社した行為は、就業規則第九六条、第九九条第一号、第一一号所定の懲戒事由にあたるとして、被告の懲戒処分について諮るべく七月二二日、懲戒委員会に関する規程(昭和二七年五月一日制定)第二条により懲戒委員会を招集した。右懲戒委員会において田中重弥委員から被告に対しては懲戒解雇処分をもつて臨むのが相当であるが、勤続一〇年の社員であることを考慮して同規則第九七条第一項但書により、同月二四日付で諭旨退職処分に付したい旨提案され、被告の就職あつせん、退職金にみあう一時金の支給について配慮されたい旨の組合側委員の要望に対し、会社側委員より会社としても本人に反省の色がみられる限り要望に副いたいとの回答がなされたので、組合側も右提案を承認し、結局被告を諭旨退職処分に付することが決定された。そこで会社は同月二四日右辞令を被告に送達し、同月二八日に三〇日分の平均賃金として金三二、〇四〇円、七月一日から同月二四日までの未払賃金として金九、八四七円を長野地方法務局に供託したものである。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(二)  そこで、右認定事実により、まず右解雇処分が解雇権の乱用として無効であるか否かについて検討する。

1  まず本件転勤命令が人事権の乱用として無効であるかどうかについて審案するに、成立に争がない甲第二号証によると、労働協約第五条には「組合は、事業運営に関する計画の立案実施、職制機構の制定改廃は勿論、従業員の指揮統制・雇傭・解雇・異動・任免・賞罰等の人事権を含む事業経営権は、会社にあることを確認する。」、就業規則第六六条には「会社は、業務の都合で社員に転勤を命ずることがある。前項の場合に、社員は、正当の理由がなければ、これを拒むことができない。」との定めがあることが認められ、この条項の趣旨からすると、経営上の必要があれば、職員に転勤を命じうる人事権を会社が専有することは明らかであるが、その前後の規定の趣旨からしても、人事権はこれを正当に行使すべく乱用にわたつてはならないことはいうまでもない。

しかるところ、前記認定にかかる会社の業種・営業形態・職員採用の状況などから考えると、会社において職員の転勤は不可避のものであり、しかも本件転勤命令当時地方自治団体から人事例規、会計例規、市町村例規(いずれも加除式)の発注が増加し、これに対処するため、とくに北海道・東北・関西の各支社からその営業担当社員として編集経験者の配属をつよく要請されていた事情を考えあわせると、被告を東北支社営業課へ転勤させるについての会社の業務上の必要性が相当大きかつたものと認めなければならない。そして、前記認定事実によると、被告はその選考条件にかなつた適任者の一人であつたことが認められる。

被告はこの点につき、同人の家庭事情をいうが会社が当時転勤を命ずるにあたつてあらかじめ当該社員の了解を求めた上で発令する取扱をしていたことを認めるに足りる証拠はなく、いずれも成立に争がない甲第一六号証の三、乙第三八号証、同第三九号証の一・二、被告本人尋問の結果によつて成立を認める乙第四号証の一ないし三に右尋問の結果によると、被告の家族は、父悦二(五八才)、母けさ(五一才)、祖母たい(八二才)、弟孝之(一八才)、妹昌子(二三才)、悦子(一五才)の七人家族(外に東京で別居中の兄弟二人)であつて、家屋敷のほか田約三反歩、畑約二反歩を有して農業を営むところ、当時父は高血圧症の上交通事故による骨折のため、母は口内炎のためにいずれも加療中であり、祖母も老衰のため病臥中であつて、両親が被告を相談相手として頼りにしてその転勤に反対していた事情を窺いえられるが、一方右証拠からは父悦二は右疾病を有しながらも、農作業に従事しながら長年訴外藤沢木工株式会社に勤務して収入を得ており、たまたま当時交通事故のため家庭で加療中であつたにすぎないこと、母けさも虚弱ではあつても家事の外農作業にも従事していること、妹昌子はタカラ科学工業株式会社に勤務中であり、弟孝之は長野高校を卒業後京都大学を受験すべく勉強中であり、妹悦子は長野市立高校に在学中であることが認められるのであつて、被告が会社に勤務するかたわら農作業に従事していたことがあるとしても、前記家族構成から考えると、とくに家庭において被告の労力を不可欠とする事情は窺えないし、さらに前記認定事実によると、会社は転勤先の仙台において一月金三、〇〇〇円程度の費用で生活できる寮舎を完備し、その上地域手当金八〇〇円が加算されるというのであるから、被告の意思次第で相当程度家庭に送金することが可能である。そして会社は今後家庭に不測の事態が生じたときには責任をもつて援助と便宜を与える用意があることを被告に約束している事情に徴すれば、本件転勤命令に当つては被告の家庭事情をも充分配慮されているものというべく、前記会社における配転の必要を考えるとこれをもつて人事権の乱用であるとすることはできない。

もつとも、本件転勤命令が被告に内示された三日後である六月二九日に開催された部課長会議に課長補佐である組合三役が出席したことは当事者間に争がないところ、被告は右席上会社がとくに組合三役に対し、本件転勤命令を強行すべく協力を約させた旨主張し、成立に争がない乙第二号証によると、右会議の席上、会社側から人事管理権の重要性を強調し、ついで開かれた月例集会において、長野本社の社員全員に対し、人事管理についての会社の方針を説示し、団体生活の統制に背くものは許すことができない旨の発言がなされたことが認められるが、これをもつて直ちに被告に対し右転勤を強制する趣旨でなされたものとすることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

以上説示のとおりであるから、本件転勤命令が人事権を乱用したものであると解することはできない。

2  右にみたように本件転勤命令が人事権の乱用と解することができない以上、被告はこれに従う義務があり、右命令に反したことを理由として就業規則に則り、発せられた前記休職処分および入社禁止処分はいずれもやむを得ない措置として有効であり、これらに違反してなされた前記認定の被告の所為が原告の援用する就業規則所定の懲戒事由にあたることは明らかである。そして、前記認定の諸般の事情を考えると、ほかに特段の事情が認められない限り、本件諭旨退職処分が解雇権の乱用として無効であると解することはできない。

(三)  そこで次に、本件諭旨退職処分が不当労働行為に該当し無効であるか否かについて検討する。

1  まず被告は本件転勤命令が不当労働行為にあたる旨主張するので被告が如何なる組合活動をしたかについて審案するに、いずれも成立に争がない乙第三四号証の一・二、同第三五号証ないし同第三七号証、同第三九号証の一・二、証人鈴木郁の証言により成立を認める乙第四〇号証の一・二、証人中沢民男、同見海一博、同鈴木郁の各証言ならびに被告本人尋問の結果を総合すると、つぎの事実が認められる。すなわち

(1) 被告は会社に入社して以来、組合の組合員であつて、職場委員となつたこともあつたが、組合が自主性を欠く御用組合であると考え、そのあり方には強い不満があつた。そこで被告は組合を真に組合員のために働らく自主性のあるものに強化していくため、地区評幹事である訴外村山栄樹の指導と援助を受けて、意見を同じくする者による学習活動を展開したいと考え、昭和三五年九月頃、当時組合員数名が会社外においてもつていた雑誌「世界」を読む会に入会し、「世界」の輪読を中心として組合の諸問題について意見を交換するようになつた。ところが、右の集りはいまだ人数が少なく、これだけでは組合を内部から強化していく力には足りないと考えられたので、同年一一月、被告や訴外中沢民男は中心となつて志を同じくする組合員を勧誘して約一〇名のグループをつくり、これを読書会と名付けて再発足した。

(2) 右読書会は、毎週土曜日に、テキストとして青木文庫・高橋庄治著「人民の哲学」を学習することによつて会員相互の思想統一と結びつきを深め、さらに職場や組合の諸問題をとり上げて組合員としてとるべき態度を討議し、読書会としての一定の方針を定め、それにしたがつて会員各自が影響を与えられる範囲内で会員以外の組合員に直接働らきかけて漸次会の方針を浸透させ、組合大会などでも積極的に発言することなどの方法によつて、組合を自主的・民主的なものに体質改善しようとしたものであつた。

(3) 読書会は右のような性質をもつたものであつたから、会員達は会社や組合にその活動を知られると弾圧されたり不利益を受けるおそれありと考え、その会合も社外で行い、組合や組合員に働らきかける場合も、読書会の名前は表へ出さず、会員各自が個人の立場で組合活動をしているようにみせかけるべく心をくばつた。したがつて、新入会員の勧誘にも細心の注意を払つて確実な人だけに働らきかけていたが、昭和三六年三月頃には、会員は二〇名を越えるにいたつた。

(4) 前記方針にしたがつて、読書会は、具体的につぎのような活動をした。すなわち、組合には従来青年婦人部がなかつたところから、昭和三六年初頃、これを結成して三〇才以下の若い力を結集すべく、組合執行部に働らきかけたが成功しなかつた。昭和三五年一一月頃、翌三六年一月に行われる組合役員の選出にあたつて、読書会々員の中から役員を出すことを相談し、訴外高野直人を組合長に、被告および中沢民男を執行委員に、婦人から鈴木郁と高田芳子を同じく執行委員に立候補させる計画をたてたが、組合長立候補については、高野が高年令でもあり、推せんにより組合長を決めるのが慣例となつていたので、にわかに立候補すれば、却つて一般組合員の反発を買うおそれがあるということで取止め、被告と中沢については婦人部の推せんを受けるべく働らきかけたが失敗し、結局高田・鈴木両名が婦人部の推せんによつて執行委員となつたにとどまつた。同年六月頃、夏季賞与の配分問題について一定額を一律配分とし、その余を給与比率により分配する方法を検討し、青年婦人対策部に働らきかけて同部主催の座談会において多数組合員参集の下に右問題を討議した。ところでこの問題は、すでに組合東京支部において討議され、組合大会に提案されていたので、組合執行部は年令別の代表を選定して公聴会をひらき議題とした。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

ところで一方、組合の性格について考えるのに組合に会社の従業員中課長補佐の職にある者が組合員として加入を許され、本件解雇当時、組合長、副組合長(二名)のいわゆる組合三役が課長補佐の地位にあつたことは当事者間に争がない。しかしながら、この地位にある者が労働組合法第二条但書第一号所定の監督的地位にある労働者ないし使用者の利益を代表する者にあたるかどうかはしばらく措き、仮にそうであるとしても、これをもつて直ちに組合が全くの御用組合であると認めることはできない。もつとも、前顕証拠ならびに証人蒲原正二郎、同青木五郎の各証言によると、従来縁故採用の社員が多かつたこともあつて、組合役員を希望する者が少く、したがつて勢い役員はいわば持廻りで比較的年輩者である課長補佐クラスの社員が就任することが多く、しかも会社の業務成績が比較的安定して発展を示し、従業員の労働条件もかなり恵まれていたこともあつて、とくに組合役員が熱意と関心をもつて組合活動に従事し、団体交渉において会社と事を構えるということはなく、争議行為を経験したこともなく、会社が月例集会や機関紙などを通してかなり積極的に労務管理を遂行していることもあつて、被告ら一部組合員の間に、組合が真に組合員の利益を代表して会社に対抗する力を有しない脆弱な労働組合であるとの不満感が低迷していたことを窺うことができる。

このような組合の実情を考え合せると、前記認定にかかる被告らを中心とする読書会活動は、組合のあり方に不満を抱き、これを是正するため、学習活動をとおして会員の結びつきを深め、さらに労働条件や組合に関する諸問題について、組合員としてとるべき態度について検討し、定まつた方針にもとずいて会員各自が会員外の組合員や組合に働らきかけて、内部から組合の体質改善をはかろうとしたものであつて、それがどの程度の成果をあげたかはともかくとして、その目的・態様からしてこれを正当な組合活動ということができる。なるほど、右活動は前記認定にかかるその具体的な活動方法に徴しても、組合の機関決定によるものではなく、また組合の公式の支持にもとずくものでないことは明らかであるが、不当労働行為の前提たる正当な組合活動とは、団結権の保障を志向する不当労働行為制度の目的や組合活動がその性質上動態的性格を帯びざるをえないことを考えあわせると、必ずしも組合の機関決定や公式の支持にしたがつてなされたもののみに限らず、その目的・態様から組合の団結を擁護するためのものであることが明白であるときは広くこれをも包含するものと解するが相当である。そして、本件において前記被告の活動は単なる文化活動とは異り、組合の現状に不満をもち読書会活動を通じて除々に同志を獲得して、内部から組合の体質を改変し、強力な組合活動を展開させようとしたものということができるから、組合の機関決定の欠缺を理由としてこれらを正当な組合活動でないとする原告の所論は採用できない。

しかるところ、他面これらの被告の活動に対する会社側の態度について審案するに、いずれも成立に争がない甲第五五号証の一・二、同第五六号証、同第五九号証の一、乙第三九号証の一・二、証人中沢民男、同鈴木郁、同横瀬政雄の各証言ならびに被告本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。すなわち

会社は、昭和三六年二月頃、訴外原山庶務課長補佐が社外の婦人から「最近会社に勤務する近所の娘が、会合にでてしばしば帰宅の時間が遅くなり心配している。編集部にもその会合の出席者がいるらしい」との趣旨の電話連絡を受けたところから、直ちに編集部において調査することになり、まず長沢編集部長が同月二二日、訴外高田芳子につき事情を聴取したところ、同人はその会合にでたことがあるが、そば屋の二階で恋愛問題や映画、読書の感想を述べあう程度のもので、とくに夜遅くなることはなかつた、その会合には中沢や被告も出席しているとのことであつたので、同月二五日、小林例規課長が中沢から、大久保法規課長が被告から右会合の内容や会員について調査したが、同人らは会社から不利益な取扱を受けることを懸念して真実を語らず、恋愛問題など若い者特有の問題を話し合つているにすぎない旨答えた。調査は右の程度に止まつたので、会社は読書会の実態を知るまでにはいたらなかつた。

以上の事実が認められ、右のように会社は外部からの忠告によつて調査をはじめたが、読書会の実態については深く知るところとならなかつたのみならず、すでに見たところから明らかなように、被告らの読書会活動はこれを会社や組合に知られることをおそれ、組合内部においても読書会として行動することなく、読書会の決定した方針にもとずくものであつても、会員各自が個人の立場でする組合活動という形態をとり、しかもその活動はようやく緒についたばかりで、前記認定にかかる具体的な活動も実効を見たものは少なく、賞与の配分問題にしても、すでに組合東京支部において討議され組合大会に提案されていたものであるから、被告らの活動はとくにめだつ程のものではなく、またとくに会社が注目する程、組合に対し影響力を持つたものともいえない。

そして、右事情に前記のとおり本件転勤命令にあたつては、会社に業務上の必要が存し、被告の家庭状況も転勤を不可能とする程でなく、とくに被告を転勤させるべく会社がこれを強制したことを認めるに足る証拠もないことなどを考えあわせると、会社が被告の活動について快よく思つていなかつたことは想像しえないではないがこのことあるいは右活動を排除することが本件転勤命令の重要な動機をなしていたものと解することはできない。してみると、本件転勤命令が不当労働行為であるとする被告の主張は採用できない。

2  右にみたように本件転勤命令を不当労働行為として無効とすることはできず、これを前提とする休職処分、諭旨退職処分は、前記認定の諸般の事情を考えると、ほかに特段の事情が認められない以上、不当労働行為として無効であると解することはできない。

以上のとおり、被告の抗弁はいずれも採用できない。

三  そうだとすれば、右諭旨退職処分により被告と原告会社との雇傭関係は消滅したものというべく、被告が原告会社との間に雇傭関係を有するものと主張して争つていることは明らかであるから、雇傭関係の不存在確認を求める原告会社の請求は理由あるものとしてこれを認容するが、雇傭関係が存続することを前提とする被告の反訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中隆 千種秀夫 伊藤博)

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